2007.09.14

国際ビジネス困った時の知恵袋SIA

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サブプライムの問題については「070817-SIA評論:世界の株式市場の動きと円高」と題して既に触れていますが、投資とリスクの問題について未だに世の中に誤解が蔓延し、一部経済紙等でも誤解と思われる議論が多くなされているので、今回はサブプライム問題に関して「経済的リスクと社会の許容できるリスクとリスク回避のコスト」と題して、難しい統計用語や数値を使うことなく掛算、割算だけで説明します。


世界の言語アジア、アフリカ、東欧言語の翻訳、通訳プロフェッショナルハウスSIA

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そもそも投資におけるリスクとは損失の可能性を意味するのですから、確率の問題です。すなわち統計的な可能性の問題です。間違った投資、損をする事が確実な投資は、ここでいうリスクのある投資ではありません。愚かな投資に過ぎません。経済的リスク、あるいはリスクを取って行う投資とは、損失を被る可能性はあるが、投資が成功する場合の確率と利益を考えると、投資するだけの値打ちがある投資です。投資の結果発生しうる事態を予測し、そのいろいろな事態が起こる可能性(確率)とその際の利益や損失を推定し、平均的に収支がどうなりそうなのかを判断の上、投資する行為です。投資案件についていろいろな事例が起こる可能性(確率)とその際の予測収支額を掛け合わせ(加重平均し)、投資案件の推定される予測収益はそのリスク(不確実性、不確かさ)を正当化できるか否かが、経済的リスクを取った投資が正当化できるか否かの判断基準なのです。このため、投資案件の評価に置いてはビジネスや経済に対する理解力と統計的なものの見方、理解が必要不可欠(注1)です。

最近、経済で統計数字を羅列する人をよく見かけます。経済は貨幣を媒介とする物やサービスの動きを扱うため数量的把握は必要です。そのため統計数字は必要不可欠ですが、統計的な数字の羅列は経済学ではなく、経済的理解にも役立ちません。前提条件が間違っていたり、不正確なデータの統計は危険なのです。

こういった、そもそも論を述べるのは、統計的数字を羅列すれば、あたかもリスクを正しく把握出来ると錯覚している経済人や、又世界各国の経済比較を行う際、特に日米社会の単純な統計比較があたかも各国の実態を表す経済比較であるが如き、発言、態度がまかり通っているからです。今回のサブプライム問題についてもこの傾向が如実に表れています。米国の住宅融資、サブプライムに関連する米国人の生活スタイルについての報道もその一例です。このため、先ず米国人の生活スタイルについて先ず触れます。

こういった統計的数値比較を行った、一般的な日本での米国人の生活様式に対する発言は、米国人は後先を顧みず収入があるだけ使ってしまい、困ったらすぐ自己破産する無責任な人々といった印象を与えています。又それをハッキリと明言する人々もいます。しかし、私が観察し、知っているアメリカ人は実に堅実な生活をしています。食費、衣服を含め実に地味で質素なのです。しかし、同時に貯金が少なく借金が多いというのも事実です。ここでお互いに自分の方がアメリカを知っていると水掛け論をしても意味がありません。こういった相反する見方、相矛盾する二つの現象は経済的、又合理的にどう理解したらよいのでしょうか? 以下は私が理解する、一見相矛盾するように見える現象の実態です。

米国では、社会人になると素早く頭金を貯め、モーゲッジを組んで家を買い、先ず自分の住居(城)を確保し、質素な生活をし、将来に備えて資産形成に励んでいる若者が意外に多いのです。しかし、こういった米国の若者の実態は、経済統計上は借金の山、貯金無しとなります。当然の事ですが、日米共に一般的庶民に対するモーゲッジローン(住宅融資)は将来の安定的な収入から返済されるものです。金融機関による個人貸し付けが、米国では1960,1970年代には一般庶民にまで浸透していたのです。そもそも、その当時日本では金融機関による個人貸し付けは一般庶民にとってほとんど不可能でした。一言付言すればここに日本の米国との金融構造上の相違があったのです。この相違を示す日米比較経済統計は余り目にした事がありません。日本では、特殊なブラック金融、消費者ローンを除いて、一般庶民に適正な金利で貸し付ける金融機関が当時は無かった訳ですから、法的手続きによる平和な自己破産が発生しうる可能性は大変に少なかったのです。背に腹は代えられない追い込まれた個人は、悪質な金融業者に頼らざるを得ず、家族離散、自殺、保証人への厳しい督促等の社会問題を生み出した事は皆さんご存知の通りで、現在も社会問題として続いています。ここ10年商工中金問題、消費者ローンを巡る様々な事件、裁判、自殺は大変な社会問題となりました。何も知らない保証人に対する突然の脅迫的取立は、果たして日本が法治国家と呼ぶに相応しい国かと思わせるものでした。さて米国では、個人の借り入れの際、保証人を求める事など、一般的ではありません。米国ではそれぞれの個人が個人の信用で借り、保証人が存在しないわけですから、日米の借入をした個々人の生活態度や国民性、モラルが同じであったとしても、当然米国の回収不能の事例は増加します。このため米国で自己破産が多いと言うことは米国人の無責任な国民性によるものであると言うことの証明にはならないのです。むしろ、日本より公平な、公正な金融システムの結果である可能性が大変強いのです。以上、簡単な事例、説明ですが理解戴けたと思います。これほど通信手段の発達した現在でも、いわれている「単純な統計的日米比較にはいかがわしさ」がある事に気づいて戴いたと思います。この「いかがわしさ」は「意図された」ものか、あるいは「無知による」ものなのかは、敢えてここでは触れません。ただ統計的比較数字の中に潜む「いかがわしさ」、その可能性に注意を戴きたいのです。比較される数字には、統計的比較をする以前の問題、多くの推定、前提となる価値観、仮説、判断があります。データの信頼性を無視し、知らずに、あるいは隠蔽して数字を使う人が実に多いのです。

一時声高に叫ばれた日本の貯蓄率の低下についても、よく内容を吟味する必要があります。しかし、その実態は、日本の国民の年齢構成の変化による部分が多く、ベビーブーマー世代が高齢化し、引退すれば起こる当然の話です。実際の若者の生活態度は30-40年前よりも実際にはより堅実な生活を送っている可能性が大いにあります。

こういった分かり切った事を書く理由は、既にご理解戴いたと思いますが統計数字の背景(統計の取り方、及び数字として表れる経済現象)に対する理解も無しに統計を使って経済や経済現象を語る人が余りに多く、実に危険な事だと憂慮するからです。経済的比較に統計を使うためには前提となる経済的理解(注2)が必要となるのです。私は実際にこういった危険な現象を何度も見て来ました。1980年代、私が日興證券国際金融部で引き受けの仕事をしていた当時、工学部の出身者が金融工学に向かい始めた時期でした。その頃も危険性を実感しましたが、現在この傾向は更に進み危険な状態にあると危惧しています。

統計を駆使するが、経済的理解が不十分と思われる人々の集団に対する危惧についてはこれ以上述べません。もう一方の問題は、経済を専門とする人々の問題です。経済学部出身者には意外に数字を苦手とし、数字に疎い人が多く、ある意味困ったものです。この両者、二グループが合体すると実に危険な現象が生まれます。嘗てのマルクス経済学の教条主義的な解釈を唱えている方は現在では希少種となりましたが、意外に数字音痴の経済専門家が今でも生息しています。金融工学を駆使する自称数学の天才と数学音痴の優秀な経済学者が、共同作業を行っても相互補完とはなら無いのです。その理由はこの両者が補完的となるためには論理的意思疎通能力が両者間に備わっていなければなりません。意外にも、両者間にはお互いの立場の違い、対立する意見のためか、あるいは能力的限界からか上手くいっていないようなのです。

いよいよサブプライムに入ります。サブプライムとはこれまでの金融サービスでは銀行が貸し付けに二の足を踏んでいた低所得者層に、銀行の貸し倒れリスクを低減するようなリスク管理システムを考案し、銀行が低所得者に対して住宅ローンの提供を可能にしたモーゲッジローンの総体を言っていると見てよいと思います。これはそれまでのモーゲッジローンの融資回収実績から割り出し、信用度の低い低所得者でも銀行として十分収益のある貸付先となるモーゲッジローン融資制度(方式)です。この方式を下支えし、補完する上で重要な役割を演じたのが、ムーディーズやS&Pと言った格付け機関です。サブプライムのローンが組み込まれている債券にもこういった格付け機関が最高格付けトリプルAの格付けをしたものがあるのです。もっと分かり易く、実際に起こったことを言えば、「サブプライムの低所得者対象の住宅融資(サブプライム・モーゲッジローン)を行った金融機関がその融資債権を本に債券を作り、格付け機関よりトリプルAの投資格付けを得て、金融機関を初めとする機関投資家に販売した。(個人投資家もいると思いますが、彼らが金融機関からの借入で購入したのでなければ今回の金融不安の対象とはなりません。)」のです。元々ベースとなる融資は低所得者向けのため、プライムレートよりは高い金利を取っていますので、これがトリプルA格付けとなれば、大変な収益を生みます。著名な格付け機関は、これまでの歴史的実績がありますので、投資家の信用を得ています。このためこの種の債券の販売が容易となります。一端こういった仕組みが出来るとこのトリプルA格付けの債券を購入する投資家がいる限り、この動きは加速されます。潤沢な資金がサブプライム対象投資物件に流れ込みますので、やがては需要と供給の関係から、より問題のある債権も組み込まれた債券が販売されるようになります。その結果、今となってみれば、現在のサブプライムのモーゲッジ残高全体としてのリスクは想定を超えて高かった。以上が、今回のサブプライムの問題を単純化した解説です。

次にリスクの適切な把握と管理に触れますが、その前にサブプライム・モーゲッジ・ローン債権を組み込んだ債券が、なぜ正しい格付け評価をしている格付け機関よりトリプルA格付けを取得できるかです。それは、格付け評価を受ける時点における、将来の債権回収見込みに基づき計算されるからです。当然、組み込まれている一件一件の回収見込みは低くても、回収できない確率を算定しそれに相当する余分の債権を組み込む事によって、理論上は想定が正しければ、安全な債券となります。当然神ならぬ身の人の技ですから、この安全性も必然ではありません。確率的に安全なのです。トリプルAの債券は一つ一つが絶対的に安全なのではありません。安全(債券の支払いが滞りなく行われる)な可能性が高いのです。因みにこの債券の査定を行う費用は、債券を発行する発行体が格付け機関に払っています。

さていよいよリスクの適切な把握と管理の問題となりました。経済的リスクについて一言触れます。リスク管理の改善は、簡潔な言い方をすれば経験則を数値化し、それに基づく管理が現状では全てです。その管理に置いて、様々な統計が使われ、統計学の専門用語(注3)がふんだんに使われていますが経験は、残念ながら経験に過ぎません。今回の大騒ぎは、このリスクの「適切な把握と管理」に問題があったと言うことなのです。このためここでは技術的詳細は触れません。ただ、リスク回避のための様々な手法の限界とそのリスク分散、回避に要するコストについて説明します。

本質的なリスク回避、ヘッジは意外に限られた物であり、コストが掛かります。マグロの取引が分かり易い事例です。しっぽを切って鮮度、脂ののりを見ます。実際は解体しないと解りません。しかしながらこれまでの日本の水産関係者の長年の経験と勘、及び水産学の進歩で相当な確率、精度で解る事も事実です。リスクとヘッジとは「同じ危険度合い毎に分類した一連の現象とそれが起こりうる頻度、確率分布」、すなわちリスクと「それに如何に対処しそのリスクを防止するか」の問題なのです。すなわち、不確かさの頻度、確率とその対処法なのです。この不確かさを取り除く(対処する)方法について、マグロ取引を例に説明します。マグロを例に取れば、リスクを避けるためには解体セール(取引)を行えばよいのです。しかし、解体セールを行うためのコストの増加、又解体行為自体による品質の劣化が起こります。このため一本買いがやはり合理的なのです。

大量に買う業者は大数の法則で、取り扱い本数が増大するに連れて平均化しますので、ある意味でリスクは元々少なく、限られています。しかし一匹だけ買う人はそうは行きません。この問題を解決する方法は可能(注4)です。買ったマグロを解体して悪かったら買手は補償を受け、マグロが良ければ買手が追加支払いをする事でリスクを回避するシステムは理論上作れますが、このままでは実効性が伴いません。

仮にこういった手法により各段階のマグロ取引のリスクを減らしても、マグロ取引の全体的リスクは減りません。しかも各一本一本の取引リスクが減り安全になるに従って、今度は各買手の許容出来るリスクにゆとりが生まれますので、在庫リスク、価格変動リスクを余分に取るようになります。金融工学等により、10年前、100年前に比べ各取引のリスクが10分の一になれば、ポジション(持ち高、取引量)を10倍にするのが、相場師です。だから各相場師のトータルのリスクは意外に変わらないのです。

リスク軽減の手法が開発された時、新たな問題が発生します。個々のリスク軽減のための様々な仕組み、システム利用に伴うコスト上昇を誰が負担するかの問題です。取引の増大による規模の経済が働いて安くなり、コンピュータ、その他の情報インフラの整備でコスト削減が生まれ、リスクヘッジに掛かる費用が経済的に正当化出来る程合理的な物なのか?(最近、様々なリスクヘッジ手法が生まれているのは、単に金融工学の発達の結果ではありません。商品取引の規模が大きくなり、コンピュータの発達や通信コストの低減が大きく寄与し、金融工学を活用出来るほどコストが低減し、経済的になったのも一要因です。)

このリスクヘッジについてはなはだ疑問に思う事があります。なぜならリスクヘッジの様々な手法は、社会全体のリスク低減に繋がらず、ただ経済の円滑な流れを保証する点にあると言うのが経済的意味合いだと私は思うからです。この考えに立てば、経済活動の円滑化のために社会的にどれだけの経費増を経済的に正当化できるかとなります。この点を理解戴くために、商品取引を例に説明し、終わりと致します。

商品先物取引が、リスクヘッジのため使われています。それを正当化する一つ一つの説明は一般的に正しく、疑問の余地がありません。(経済学が解っている人が説明している場合ですが。) 又、一回一回の先物取引の手数料も低コストです。更に先物取引価格そのものは現物価格と金利により裁定取引が可能ですのでこの理論値±取引手数料の範囲に収まりますので、先物のシステムそのものが含む危険性もありません。しかし、実物取引の1000倍の売買がなされているとなると、各取引手数料は0.1%としても、その先物取引全体としての手数料総額は現物価格の100%となります。1万倍であれば手数料が0.01%としても100%となります。この費用は誰が負担をしているかと言うと、最終的には社会、最終消費者です。

商品取引、商品取引先物の取引量は各商品により様々です。又当然、商品の範疇に株式、為替、債券も入れて考察すべきです。ただ何れを取り上げて見ても、リスク分散、ヘッジのために純粋な実物取引価格に比較し市場全体としては相当なコストを負担しているとすると、社会的にははなはだ高い負担をしている事になり、このコストを正当化出来るのかと私は四半世紀前(注5)から疑問に思っています。

ただし、ここで注意戴きたいのは先物取引を否定しているのではありません。ヘッジのための様々な手法は基本的に、個々の投資家のリスクは減少させうるが、社会全体としてのリスクを「経済の円滑な流れを保証する事、すなわち取引相手先の倒産により契約が履行されない事を防止する事」を除いては、減少させることは無く、費用が発生する事、その費用が果たして、正当化できるものであるかといった問題です。

経済の円滑な流れを保証する事、取引相手先の倒産により契約が履行されない危険性を防止する事(注6)は経済的に意味のあることですが、一取引がリスク分散ではなく、リスク防止・ヘッジと称する取引のために何段階もの取引に分割される結果、介在する関係者の増加により、リスクが拡大する可能性があります。一連の取引に介在する一社の倒産により連鎖倒産を引き起こす可能性も増大します。
(佐々木賢治)

(注1:しかし、そんなに難しい統計学の理解が必要なわけではありません。なぜなら各々の推定する事態が発生する確率も、又その際の予想収支も幾つもの仮定に基づく、推定値にすぎず、巧妙緻密な統計学の使用を正当化するほどの精度は無いのです。)

(注2:経済的理解とは一つ一つ、実際に消費者なら、生産者なら自分はどうするかを考え、理解することです。売手なら買手ならどうするかを先ず考える事であり、経済学の教科書的な定義を振りかざす事ではありません。名座なら一人一人の経済行為が経済活動をうみだしてゆくからです。ただし経済学において議論を明確にするために定義されている用語は正しく理解する必要があります。一例をあげます。1960-1970年当時、日本では朝日、毎日、読売、中日と言った巨大新聞も国民総所得が世界3位であるのに一人当たり国民所得が21位であるのは搾取のせいだと紙面に掲載していました。当時の左翼系学者、学生もよくこの種の議論を鵜呑みにし、著名な大学人や知識人が新聞の文化欄、社会欄に同様な記事をよく書いていました。しかし国民総所得から減価償却を引いたものが国民所得、その国民所得を国民の数で割ったのが一人当たり国民所得です。ほぼどの国でも国民総所得の約8割が国民所得でしたので、国民総所得が世界で第3位であるにもかかわらず、一人当たり国民所得が21位というのは搾取とは全く関係のない事なのです。小学生でも解る割り算の世界の話でした。事実、その当時1960年代でも高校の教科書にこの定義が出ていたのです。今でもこれに類似する話は枚挙にいとまがありません。アンデルセンの英知(裸の王様の寓話)にただ感動するばかりです。)

(注3:本来、経済見通しや、企業収益見通しを基に株価予測をする人々はファンダメンタリストと呼ばれ、こういった人々が数値に基づく分析を進めて来ました。株価変動率といった形で統計学を駆使した分析、予測を行って来たのはこういった人々です。これに対し、株価動向のこれまでのパターンを分析し、過去のパターンと比較検証する事によって株式の売り買いのタイミングを予測して来た人達はチャーチストと呼ばれ、株価パターンを分析するのに国の内外を問わず実に面白い表現(例えば、釈迦三尊等)を駆使します。しかし、ファンダメンタリスト、チャーチストと言った固定観念を取り外し、視点を変えて見れば過去の市場価格の変動数値を統計的に分析する統計学者は、意外や意外何らチャーチストと変わるところが無いのではないかと思われます。)

(注4:一つの手法は、別の第三者がマグロ販売業者に変わり、解体の結果悪かったら補償金を払う保険を販売する事も可能です。この保険をマグロ購入業者が保険購入代金を払い直接購入する事も可能ですが、マグロ販売業者がこの保険に対して購入代金を払い保険証付きでマグロを売ることも可能です。その場合は保証付きですからマグロは高く売れることになります。)

(注5:1983年頃、ある米国の大手商品取引所の理事長がノートルダム大学で講演した際、質疑でこの点について突っ込みましたが、満足の行く回答を得ることが出来なかった記憶があります。私の当時の英語力のためか、関係者にそういった概念的な理解が欠けていたのか、はたまた理事長が政治的発言に終始したのか、あるいは私の理解力不足のためか、未だに不明です。)

(注6:取引相手先の倒産により契約が履行されない危険性を防止する効果も意外に限られた限定的なものです。その例を挙げます。金融機関が直接関与するヘッジとして代表的なものに為替スワップや金利スワップがあります。しかし、こういったヘッジのために使われるスワップ取引が取引相手先の倒産により契約が履行されない危険性を防止する事に100%貢献するかと言ったら、現実はそう単純なものではありません。間に立った銀行が倒産した場合は、その銀行とスワップ契約を結んだ企業、金融機関は危険にさらされるからです。企業間の取引を円滑にし、取引先企業の倒産による契約不履行がもたらす連鎖倒産を防止する事を目的としてこういったヘッジを社会的に奨励するとするならば、同時にこういったヘッジに多くの金融機関、関係業者が関与する結果、関与者が増えることにより一業者の倒産が連鎖倒産を起こす可能性も無視できないからです。この意味からも、余りに複雑な金融商品、関与関係者の多い金融商品はコストが高くなるだけでなく、見えないリスクも同時に増加していることに注意する必要があります。)


名古屋、東海地区一番のMBA教育、ビジネススクール留学、大学・大学院留学指導実績

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佐々木 賢治
SIA Inc. Sasaki International Academy


国際ビジネス訓練風景:書く、プレゼン、交渉

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佐々木インターナショナルアカデミー:教育モットーと哲学

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